自閉症児のいる父子家庭なのかな

妻は重度の意識障害で入院中、子どもは自閉症スペクトラム障害のパパのブログです。

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2013/07/19

中学1年の6月下旬から不登校のまま夏休みに突入

中学1年で高機能自閉症の長男が不登校になりました。
詳しい経緯は書きませんが、ある時期から登校中に便失禁をして帰宅してしまうことが何度も続きました。
泣きながら私の携帯に電話してくるので「落ち着いたら遅れてもいいので学校に行きなさい」と返事をし、帰宅してから聞くと「遅れて学校に行った」と返事をします。
しかし、後になって担任の先生に聞くと、学校には行ってなかったとのこと。
そういうことが何度かあった後、ある日からは中学校から私の携帯に「登校してきていません」と連絡があり、家に戻ると本人がベッドで寝ていました。
その後は朝になるとすぐ鍵を閉めてトイレにこもってしまい、そのまま私が出勤して時間が過ぎると出てきて登校しないことがずっと続きました。
今は学校に行くようには言っていません。そうすると、朝起きてすぐトイレに閉じこもることはなくなって来ましたが、午前中はずっと寝るようになりました。
この状態で、夏休み突入となりました。
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2013/04/17

長男の中学入学まで&父の死

高機能自閉症の長男が中学に入学するための準備は他の人よりも出遅れましたが、なんとか挽回するべく、6年の担任の意見を聞いて、担任から中学に案件として引き継いでもらう手はずを整えました。

具体的には、昨年4月に行った心理の検査結果や、診断を受けてきた機関からの意見書を3月頃に担任に渡しました。
また、小学校の先生たちは、長男には中学での通級指導が必要だという認識をお持ちでした。
そこで、私は中学の通級指導の先生にお会いして色々と伺ったりお願いしたりということもありました。

今は4月半ばですが、1度だけ長男がパニックに近い状態で泣いているところを中学の担任の先生に見てもらったので、長男が一筋縄ではいかない生徒だということを感じてもらったのではないかと思います。
そろそろ通級の申し込みをした方がいいかなと思っているところです。


話は変わりますが、入院していた父が昨日未明に亡くなりました。病院から夜中に電話があり、高速道路を車で走って行って母とともに死を看取りました。
葬式の喪主は私で、昨日には通夜を行い、今日は告別式を終えました。
普通なら世話役等がいて喪主が参列者に応対をしたり葬儀社との打ち合わせをしたりしてくれるところですが、近親者のみで簡素に葬儀を行うという方針をとったため、葬儀社の人の手助けを受けながら、喪主である私が全ての進行を行いました。2日間で自宅と実家の間を高速道路で3往復し、とても疲れて帰って来たところです。

私は長男として、父親の死後にやるべきことをやりましたが、やっていくうちに自分は父の死に悲しみを感じていないことに気づきはじめました。自覚した後、忙しさのために悲しむ暇がなかったのかと思って自分の心のなかを探しましたが、一片の悲しさもありませんでした。
その原因として、自分はアスペルガー症候群か高機能自閉症であるために一般人なら持っているべき感情を持ち合わせていないのか、あるいは解離性障害かとも疑いました。しかし、そうだとすると自分の母が死ぬことを想像すれば悲しさを容易に感じられることと矛盾しますので、これは父の死の場合についてのみ起こる症状であると結論づけました。

喪主として即興で挨拶をしたときには父の性格についてオブラートで包み隠しましたが、ひどい父親でした。
子供である私にとっての父は、育ててくれた恩を感じるべき対象としての親であることに先んじて、家庭内にあって自分をもっぱら精神的に抑圧する人という位置づけがなされる人でした。
私が父に対して最初に反抗できたのは社会人になってからで、実家で喧嘩して出て行くことにしました。
一切の縁を切りたかったのですが、主に母が会いに来ていたので縁は切れていませんでした。
元気な頃は俺はぽっくり死ぬんだと言っていましたが、アルツハイマーの症状で交通事故を起こしてもまだ車に乗りたがったり(免許を返納させることに苦労しました)、迷子になって警察にお世話になっても開き直ったり(警察から引き取りに来いとの連絡が私にきました)、自分にとっては死ぬまで迷惑な人でした。

2012/05/29

久しく更新しなかったことに恐縮しつつ、名前の変更などの報告です

名前を「まとめ」から「あおの」に変更しました。

1年以上更新していなかったので、その間に変わったことを報告します。

子供は長男が6年生、長女が3年生になりました。
長男は昨年の冬頃から集団登校の時間に間に合わなくなり、何時まで経っても家から出られなくなりました。
私が時間をかけて長男の様子を見てから、車で校門まで送ってから仕事に行くようになりました。
時には学校を休ませたりしていました。それが、春休みになるまで続きました。
しかし、6年生になった4月からは、一度も遅刻をしないようになりました。

学校に行きにくくなった原因は、今でも全くわかりません。
学校に行きにくい原因があるのであればそれを取り除きたかったのですが、「いじめられている?」「なにか学校で嫌なことがあるの?」と本人に聞いても「違う。しんどいだけ。」という返事しか帰って来ませんでした。
長男は、自分の思いや環境を、自分の言葉にして表現することが苦手なのだと思います。だから黙ってしまう。
その当時は「この子はこのまま不登校になるのかな」と大変心配しました。ただ、父親としては、この子が不登校でも学歴がなくても、何らかの形でお金を稼ぐ方法を示してやれそうな気がしましたので、完全に将来を悲観することはありませんでした。
登校を難しくさせている直接の原因を除けなかったので、方針転換をして、学校へ行くように背中を押してくれるものを探すことと、生活環境の改善を図りました。
まず、担任の先生には、朝の登校時間に我が家に電話をかけていただくようお願いしました。先生も、やはり原因がわからないと悩んでおられましたので、お忙しいなかでもご協力をいただけました。
次に、朝の体の調子がすぐれないのは低体温のせいではないかと考えて、なるべく早い時間に、電気毛布で寝かせました。
しかし、そのような対策をとっていても、あまり改善が見られないまま、春休みに入ってしまいました。
そして新学期からどうなることかと思っていたら、集団登校の時間に間に合うようになっていました。

妻の状態は相変わらず意識障害が重くて入院中です。今まで何の回復もなかったし、今後のことはわからないです。

実母は、父子家庭の支援をしてくれていたのですが、昨年の夏頃に終の棲家を決めて他県に引っ越した後、実父がアルツハイマーの症状により迷子になるなど大変な状態が続いたので支援をしてもらえなくなりました(私が断りました)。

義母は、気管支系の疾患により家を出ることが大変不自由になってしまったため、支援をしてもらえなくなりました(私が断りました)。

誰も支援をしてくれなくなったので、数ヶ月の間は家事全般が全くなされず、家の中は文字通り足の踏み場がなくなりました。どうしようもなくなってから役所と相談を重ね、居間と台所の片付けに人を寄越してもらう家庭支援サービスを週1回だけ受けるようになりました。
それ以外の家事は、なんとか自分でやっています。父子ともに健康ですが、スーパーのお弁当を夕飯にすることが多くなったため、ちょっと太り気味になったようです。


最後の投稿の後、色々とコメントをいただいていて、お返事をしてから更新しなければ…と思っていたらずっと更新できていませんでした。コメントを頂いた皆様には大変申し訳ありませんが、お返事がいつになるか自分でもわからないので、更新の方を先にさせて頂きます。

2011/03/17

生存報告です。

2011/02/09

初めて母親を叱る

実母が実家のことで鬱になりそうなのに我が家の世話をしそうになっていたので、「やめて」と言った。
それでもなにかと世話したがったので、「ちゃんと休みなさい」と叱った。
母が感謝しつつ帰っていた。

親も子も兄弟も姻族の人たちも含めて、一番しっかりしているのは自分。
自分の40歳代という年齢を感じた。

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プロフィール

Author:あおの
50歳周辺の父親です。
妻は重度の意識障害で入院中、長男(15歳)は高機能自閉症で、長女(12歳)は自閉症の疑いがあります。

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